空間を識別することに強い意識があるように感じた。
その識別した空間の中にオブジェクト(特に人物)を配置するが、その配置は必ずと言っていいほど空間をまたいで行われる。
我々の生きる現実世界を、一繋ぎのものではなく細かくまた明確に分断されたものだと規定し、その中を無自覚に動き回る人間の在り方を明示しているように感じた。
キャンバスの1部を白塗りしてそこに線の少ないオブジェクトを配置する作品や、アムステルダム美術館で見たリュートを弾く人のオマージュ?作品がそれにあたる。
前者は1個人を曖昧に覆う1つの空間という構成だったが、後者では1個人が3つの空間を跨いで配置されており、空間の識別という独自の考え方をより前面に押し出した作品に見受けられる。
戦争との向き合い方として、亡命して星を眺めて創作というのはあまり好きではない姿勢だった。
まあそもそも絵描きなんて高等遊民の暇つぶしだししょうがないんだけど、どうしても労働階級としての血が沸いてしまうのだ。
気に入らないものや直視しがたいものから逃げられるだけの名誉や金を得られたことを誇って、ただうずくまっていればいい。
たまたま逃げられる立場にあることに感謝して、己の無力を恥じろ。
←日本に生まれたことに感謝して、世界中戦争を止められない己の無力を恥じてね❤
基本的な鑑賞姿勢について。日本で誰々展を開けるほど評価の高い画家というのは、流行り物や世相のアンチテーゼとして評価されていた部分が大きいので、当該作者の作品だけ見ても正確な評価を下すことは難しい。
なので個展的な展示会に行く際は、正確に作品を解釈しようとする態度から脱却し、感覚的に絵画に身を委ねるような姿勢であることが望ましい。と思っていつも絵を見ています。
最後に東京都美術館について。高校生以下無料、授乳室に哺乳瓶を持っていくスタッフなど、豊かであることのありがたさを感じた。
ずっとこのままだといいなと思う。