アンパンマンを笑う大人 にならないために

インターネット社会は、今まで平均的なコミュニティに存在しなかった信じられないレベルの愚者を人々の前に出現させた。それも大量に。

便宜上ここでは彼らのことをボトムズと呼称しよう。


・何の知識もないのに不当な権利を求める声だけはでかいフェミニスト
・小学生の息子を不登校youtuberとして売り出してしまう親
・全部安倍晋三が悪いと思っている奴
  (日本の政治を安倍晋三がやっていると思っている奴)


彼らはこの巨大なインターネットバカピラミッドの最下層に生きている。
そしてこの最下層を誰より叩くのは、彼らより少しだけ知恵の働く階層の人間だ。
(以下ブービーズ)


ブービーズはボトムズをこれでもかと叩く。人間はいつも自分の少し下のものが一番愚かに映るものだ。なぜか。理解できるからである。

アンパンマンをバカにするのは小学校中学年だし、なろうをバカにするのは大学生で、アベ政治を許さないズを叩くのは、安部ちゃん日本の誇りおじさんだ。
自分の少し下というのは、理解ができてかつ自分はそうではない場所なのだ。


ではなぜ愚かに映るからといいってそれを「叩く」のか?

自分がそのレベルにない事(=自分の社会に対する優位性)を示すためである。

ブービーズの救いようのないところは、ボトムズにマウントを取ることで社会に対して自分の優性を誇示できると思っているところにある。

50点のテストを見せびらかすようなものだ。彼らは平均点が40点だと思っているから見せたがるが、それはどう見積もっても平均点が60点はあるテストなのだ。


幼児にじゃんけんを挑む場面を考える。

私が「チョキを出すよ」と言えば
彼女または彼(当ブログはジェンダー意識の高い方でも安心して読める造りになっている)はきっとグーを出すだろう。
そこでパーを出せば、私はじゃんけんに勝つという寸法である。

でも実際にその場面でパーを出すやつはいない。
大抵の人間はチョキを出して、幼児に勝利と笑顔を与えるだろう。

そこで平然とパーを出すのが、ブービーズだ。
障碍者の車椅子を蹴とばすのもブービーズだ。


大抵の人間はフェミニストにも気の狂った政治思想家にもかかわろうとしない。

それは大抵慈愛の心からではなく、単に面倒だからだが。


ではブービーズは面倒ではないのか?

面倒さをはねのけるほどのモチベーションはどこから湧いてくるのか?

答えは簡単で、余裕がないのである。

余裕がないから、自信がないから誇示せずにはいられない。

自分は負けていない、認められているという意識が希薄だからこそ、外部に客観的(に見えるよう)な証拠を求める。

幼児にじゃんけんで勝つ能力を、社会に誇示しているわけである。


これが手軽な馬鹿をインスタントに消費する人々の正体だ。



ここまでが現状分析で、ここからが作戦の立案だ。


この記事は、ブービーズバカだなあ。という趣旨のものではない。

じゃあこういう社会にどう向き合っていきますか?という話をしたい。


最も重要なのは、ブービーズを認知しバカにした瞬間、あなたは、そして私はブービーズ(’)として存在することになるということだ。

ブービーズ(’)を認知しこれをバカにすれば、今度はブービーズ(’’)になるだろう。


大切なのは、バカにしないことだ。

赤ん坊を、そして赤ん坊をバカにする幼児を。

そして少しでも、何かをバカにすることで優位性に浸らないことだ。

たとえ赤ん坊や幼児が学者や総理大臣になったとてそれは変わらない。


私の目の届く範囲にいる皆さんくらいはせめて、アンパンマンを笑う大人にならないでほしい。

それだけの余裕をもって生きていてほしいし、この記事がその一助になれば幸いである。